成長ホルモンについて

今でこそかなり有名になった低身長の治療。しかし、40年ほど前は、治療するまで2~3年待ちが当たり前でした。

成長ホルモンを補充することで身長を伸ばすという治療法はいつ頃、確立されたのでしょうか。

成長ホルモンの歴史

それについては今から遡ること70年ほど前になります。当時、ウシの下垂体から抽出したリウマチの治療に盛んに用いられるようになりました。

その頃すでに成長ホルモンに成長促進作用があることは知られていたので、ウシの副腎皮質刺激ホルモンがリウマチに効くのなら、ウシの成長ホルモンも人の成長促進に役立つのではないかと、1950年代初めに米国で研究が行われたのです。

しかし、ウシでは効果がありませんでした。

その後、さまざまな研究を経て、人間には種属特異性によって、ヒトかサルの下垂体から抽出した成長ホルモンしか有効ではないということがわかってきました。

しかし、人間の下垂体には、成長ホルモンが僅か含まれていません。さらにサルにはその20分の1ほどの量しかないため、十分な量を集めるのに大変な労力と費用がかかります。

そのため、サルの成長ホルモンの臨床への使用は断念されました。時代を経て、1957年には米国の医師ラーベンによって人間の下垂体から抽出した成長ホルモンが、成長ホルモン分泌不全性低身長症の治療に効果があることが証明され、以後、世界中でヒト成長ホルモンがGHDの治療に用いられるようになったのです。

実用化に向けて

人間の下垂体から摘出した成長ホルモンを治療に使うようになったのは、国内だといつ頃からの話だったのでしょうか?

これについては、日本では60年年代に鎮目和夫氏がGHDの治療にヒト成長ホルモンを使ったのがその起源ではないかと言われています。

当時の資料をみると、最初に使用したのは16歳の男性患者さんで、身長が124cm、骨年齢は12~3歳で二次性徴はまったくみられなかった方のようです。

そうした患者さんにヒト成長ホルモンを1回2mg、週3回筋肉注射したところ、5カ月間で5cm身長が伸びたということです。

しかし、当時はヒト成長ホルモンの有効性は認められていても、治療葉としての認可はまだおりていませんでした。

当時の問題点

当時の成長ホルモン治療が直面していた課題や問題点といえば何と言っても、大きな課題としてあったのは原料不足です。

ヒト成長ホルモンの国内での販売が認可されたのは1970年代ですが、その頃にはヒト成長ホルモンがGHDにきわめて有効で副作用もほとんどないことがわかっていましたから、当時の医師たちは積極的に使っていきたいという思いがありました。

しかし、人間の下垂体から抽出するため、量に限りがあり、しかも価格が高かったのです。そのため、適応のある患者さんに絞って有効に使用しなければならず、GHD以外の低身長症の患者さんには使用を規制する必要がありました。

また、当時のヒト成長ホルモンは100%輸入に頼っていたため、国内への輸入量を増やすためには、日本国内で人間の下垂体を集めねばならないという課題もありました。

そこで1977年、成長科学協会を設立して「下垂体バンク」が開設されたのです。

この下垂体バンクに、遺体を病理解剖する際に摘出した下垂体の一部を成長ホルモン抽出用に提供していただき、数が集まったところで海外の製薬会社に送り、成長ホルモン製剤にして送り返してもらうという方法が取られました。

しかし、それでも十分な数を確保することは難しく、1979年には874人の患者さんに対して、実に309人もの待機患者さんがいたといわれています。

この頃はたくさんの患者さんが治療を待っていたため、治療に身長制限が設けられており、男性は160cm、女性は150cmになったら治療はやめて、待機している患者さんに譲らなければなりませんでした。

現代とは違った成長ホルモンの投与量

そのため当時は、成長ホルモン製剤の投与量なども今とは違いました。

1970年代当時、下垂体から抽出したヒト成長ホルモンを使っていた頃は、治療するまでに2~3年待ちという状態でしたから、年長者や成長ホルモンが完全に出ていない人など、緊急性の高い人を優先して治療していました。

よって、少しでもたくさんの人が使えるよう1回の使用量を今より少なく設定したり、注射の回数も今のように週6~7回ではなく週3~4回に抑えたりしていました。

毎日注射するほうが、身長がよく伸びることは当時からわかってはいました。

量産体制へ

その後、遺伝子工学で成長ホルモン製剤をつくるようになりました。量産体制がとれたことで、治療環境にどのような変化が生まれたのか。

慈雨は米国で遺伝子工学によって合成した成長ホルモンを患者さんに投与するようになったのは、1980年代に入ってからです。

その後、1988年には、日本で遺伝子組み換えによる成長ホルモンの製造承認が下り、海外の製薬メーカーからの輸入・販売が相次ぎました。

こうして量産体制がとれるようになったことで、ようやく待機している患者さんがゼロになり、1986年には男性165cm、女性152cmになるまで成長ホルモン治療ができるようになりました.

しかし、日本の平均身長はそれより高く、身長制限の撤廃を求める患者団体の働きかけもあり、1991年には身長制限が撤廃されました。

それまでの「下垂体性小人症」という呼び方が「成長ホルモン分泌不全性低身長症」という呼び名に変わったのもこの年です。

その後、様々な経緯を経て2005年には、小児慢性特定疾患では男性156・4cm、女性145・4cmまでが適応基準となりました。

ヤコブ病との関連

1980年代に起こったヤコブ病との関連について。

1985年5月、米国でホルモン治療を受けていた患者のうち3人がヤコブ病によって亡くなっていることが判明、これが世界的なパニックが起きました。

その感染源として、米国の国立下垂体協会が製造した成長ホルモン製剤との関連が疑われたため、米国では使用を中止、ほかの製薬メーカーも一時輸入をストップしました。

クロイツフェルト・ヤコブ病は一般には中高年がかかる率が高いのですが、米国で死亡した3人はいずれも20代~30代前半だったため、成長ホルモンとの関連が疑われたのです。

調査の結果、77年まで実際に使われていた人の下垂体から抽出した成長ホルモンにプリオンに汚染されたものが混入していたことが分かりました。

そのプリオンが成長ホルモンの抽出・生成過程において除去できなかったことが今回の事件の原因であると突き止められました。

米国では1989年と1990年、1991年にも成長ホルモンによるヤコブ病の死亡が起こりましたが、これらはいずれも純度の低いヒト成長ホルモンを使っていたことがわかっています。

幸い日本では米国製の低純度のヒト成長ホルモンは使用しておらず、製品として生成された高純度の製剤を使用してきているため、これまで発症は一人も出ていません。

80年代と現代を比べて

例えば80年代と今を比べると少しずつではありますが、成長ホルモンに対する認識が深まってきています。

かつては今以上に、出生時に逆子や仮死状態で生まれたことが原因で成長ホルモンが欠損するケースが多くありました。

また、当時は出生時に小さければ成長しても小さいのはしかたがないと思っている人が今以上に多く、病院に来るのは著明に背の低い人だけでした。

医師の側にも低身長症に関する認識が少なかったこともあり、手遅れになるケースが多かったのです。

とはいえ今も、世界的に見ると日本は平均的に治療開始年齢が遅いのです。

風邪をひいたとき、すぐに対応すればこじらせずに治せるように、成長ホルモン治療も治療開始時期が早いほど、身長の伸びが良いことがわかっています。

健康診断の実施率は世界でも群を抜いて高い日本ですから、今後はさらに低身長の早期発見・早期治療に努めることが重要です。

 

最後に、実用化から四半世紀に及ぶ歴史の中で、注射器や注射針などはどのような進化を遂げたのかについて。

成長ホルモンの治療は週6~7回の自宅での注射です。注射というと、採血時の大い針のついた注射器を思い浮かべがちですが、現在、成長ホルモン治療で使っている注射器のほとんどはペン型で、小さいお子さんでも確実に打てるように工夫されています。

そして、注射針は痛みがほとんどないよう、細くて短くなっています。

自己注射が認められる以前の注射針は、太さが27ゲ‐ジ、長さは127mmもありました。それくらい太いと注射時は少し痛かったと思います。

それがどんどん細く、短くなり、今は最も細いもので32ゲ‐ジ、長さは4mmcこれは採血に使う注射針よりかなり小さくなっています。

また、体内で針折れなどが起きにくい、丈夫で安全な構造へと進化することで、注射の痛みも、かつてとは比べものにならないほど軽減しているのです。

もちろん、注射に使う針は1回ごとの使い捨てで、昔のように消毒してまた再使用することはありません。

本来、注射は医療行為で医師か看護師が行うものですが、患者さんによる自己注射が認められているのは、こうした器材の進化によるものだといえるでしょう。


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